岩崎勝平展 2006年 5月19日(金)〜6月3日(土)
岩崎勝平君の墓表は、私が書かせてもらった。故人が私を敬愛していた縁によってという、勝平君の令兄の依頼を受けて、私はかなしみに沈
み、その字を書く墨は涙になりそうで、遷延月を重ねた。弊衣、窮迫、また不遇多年のせいで、風貌までが衰耗した勝平君が眼前に浮かぶからで ある。
ところが今年の初夏のある日、兜屋画廊に、なにげなく入ると、岩崎君をすぐれているが知らない物故作家として、個展を催すという、思いがけな
い話である。兜屋自らの発意で、しかも誇りを持っての企画である。絵もすでに二、三十点来ていて、私は即座に見せてもらった。私は驚嘆し感動 した。また、やはりいい画家であったのだと、よろこびとなぐさめに胸が熱くなった。
それにつけても、勝平君は生前あれほどしばしば来訪しながら、なぜ一点の油絵も見せなかったのだろう。持って来たのはデッサン帖と素描淡
彩の少女像一点だけであった。多くの油絵を見ていれば、私は賞讃もし、宣伝もしたであろう。もっとも、よほど前、硬い鉛筆を尖細く削っての厳正 精確な、東京風景写生展は、苦心も聞かせてくれ、展観にも招いてくれた。今度の遺作展の油絵を下見するにつけ、これを生前世に示さなかった 勝平君の芸術的良心と大望を思うと共に、私にも見せなかったその信愛が切々と胸に迫ってきた。
勝平君に初めて私が出会ったのは繭山龍泉堂で、勝平君はほとんど連日のように龍泉堂へ通っていた。勿論客ではなく、店の迷惑の方であ
る。しかし、勝平君の純朴、深求の人柄によって、この店では温かく迎えられ、古代からの高い美に触れることをゆるされていたのであった。今回 の遺作展の開催も、龍泉堂のその好意が発端であり、勝平君の理解者、同情者の河北倫明氏の愛護であり、また、兜屋画廊の見識である。私 はありがたい。勝平君の在世中のあまりに良心的な自省、自閉も、ここでそとに花咲く時が来た。勝平君の絵については見る人の目にまかせ、私 は浅い言葉などのべない。
(1967.10.25) 川端康成 「兜屋画廊岩崎勝平遺作展目録」より
川越画廊
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