瑛九展 (2006/2/9〜19) 作品の一部

■川越画廊 http://www.kawag.net/


瑛九略歴
1911年(明治44)4月28日、宮崎県生まれる。本名は杉田秀夫。
1924年(大正13)13歳 宮崎県立宮崎中学校(現・宮崎県立大宮高等学校)に入学。
1925年(大正14)14歳 中学を退学し上京、日本美術学校洋画科に入学し、この頃より油絵を描く。
1927年(昭和2) 16歳  美術評論を書き始め、『みずゑ』『アトリエ』などに投稿する。5月、日本美術学校を退学。
1930年(昭和5) 19歳 4月、オリエンタル写真学校に入学し写真の研究を行う。「フォトグラム」の制作を始める。
1931年(昭和6) 20歳 5月、宮崎に帰り、徴兵検査を受けるも不合格となる。
1932年(昭和7) 21歳 写真評論を離れて油絵の制作を開始。作品を二科展など各種公募展に送るが落選。
1934年(昭和9) 23歳 兄・正臣の影響で、ザメンホフが創案した国際語―エスペラント語を勉強し始める。10月、宮崎美術協会の設立総会に参
加。
1935年(昭和10)24歳 5月、中央美術展(東京府美術館)に油絵《海辺》が入選する。12月、久保貞次郎との交友が始まる。
1936年(昭和11)25歳 印画紙による新しい作品を制作し上京、久保貞次郎と共に画家・長谷川三郎を訪ねる。長谷川と美術評論家・外山卯三
郎の協力で、この作品を「フォト・デッサン」と命名、「瑛九(Q Ei)」の名で発表することを決定し、4月にフォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。
4月、長谷川三郎、山口薫、矢橋六郎、村井正誠ら「新時代洋画展」の同人となり、「瑛九フォト・デッサン個展」(銀座・紀伊国屋画廊)を開催。小
野里利信、植村鷹千代らと「同時代」を結成。海老原喜之助、三岸節子らを知る。
1937年(昭和12) 26歳 2月、自由美術家協会の創立に参加、7月の第1回展にフォト・モンタージュ作品を出品する。
1938年(昭和13) 27歳 自由美術家協会を退会。自らの手で、それまでに描いた多くの作品を焼き捨てる。
1939年(昭和14) 28歳 6月、宮崎で「瑛九・杉田秀夫個人展覧会」(大潮社)開催。栃木県真岡の「児童画公開審査会」に出席し、小野里利信と
桐生へ同行する。11月には、小野里が宮崎に1ヶ月滞在し、親交を深める。
1940年(昭和15) 29歳 11月、絵画を根本からやり直すため、翌年2月頃まで独立美術協会の研究所などに入る。
1944年(昭和19) 33歳 5月、腸捻転のため谷口外科病院に入院、手術を受ける。
1945年(昭和20) 34歳 戦争を避け、宮崎県北諸県郡野尻村に疎開する。
1946年(昭和21) 35歳 1月、日本共産党に入党し各地で講演を行うが、病気再発により6月に離党する。
1948年(昭和23) 37歳 9月、谷口都と結婚し、フォト・デッサンの制作を再開。
1950年(昭和25) 39歳 10月、東京で「瑛九フォト・デッサン展」(上野・松坂屋)を開催。
1951年(昭和26) 40歳 6月「デモクラート美術協会」を結成(57年解散)。第1回展は大阪美術館で開催。8月、宮崎で「瑛九画伯個人展」(宮崎県
立図書館ギャラリー)を開催。9月、浦和市仲町に移り住む。この頃からエッチングの制作に専念する。
1952年(昭和27) 41歳 3月、デモクラート美術協会・東京第1回展を銀座松島画廊で開催。会員に加藤正、河原温、利根山光人、靉嘔、福島辰
夫、山城隆一、細江英公、磯辺行久、吉原英雄、池田満寿夫などを迎える。5月、久保貞次郎、北川民次、らと「創造美育協会」を創設する。
1954年(昭和29) 43歳 6月、久保貞次郎コレクションによる「西洋版画展」と、デモクラートの仲間による「日本前衛版画展」(桐生織物会館)開催
のために桐生に行き、オノサト・トシノブと親交を深める。
1955年(昭和30) 44歳 1月、「瑛九フォト・デッサン展」(日本橋・高島屋)を開催。36年から54年に制作した70点余りを展示。
1956年(昭和31) 45歳 3月、リトグラフの制作に専念する。
1959年(昭和34) 48歳 山口正城、西田信一、難波田龍起、オノサト・トシノブらと新グループ「日本抽象作家協会(仮称)」の結成を図るも、山口
の急逝で中止。10月末、油彩の大作の制作に没頭するも疲労がつのり病床につく。慢性腎炎と診断され浦和中央病院に入院。
1960年(昭和35) 2月、「瑛九油絵個展」(兜屋画廊)を開催し、58年から59年に制作の油絵大作9点を出品する。会期中に東京神田の同和病院
に転院。3月10日朝、病状急変し急性心不全により48歳で永眠。









28.  作品

油彩・板   1958年  SM  サイン

SOLD














1.楽園

フォトデッサン  1951年ごろ  54×44cm  額装

裏面に杉田都サイン
瑛九作品集 日本経済新聞社1997 掲載



瑛九展(小田急グランドギャラリー1979)図録 #90「森のつどい」は、牛、馬、裸婦などこの「楽園」に用いられているキャストを切り抜いた型紙を用いた作品であり、1951年作とあるので「楽園」の制作年もこれに準じた。(瑛九作品集には、制作年不詳とある)














2.夕暮れの喜び

フォトデッサン  1951年ごろ  54×44cm  額装

裏面に杉田都サイン
瑛九作品集 日本経済新聞社 1997 掲載

SOLD















3.顔

フォトデッサン  1951年ごろ  30×24cm

裏面に杉田都サイン

SOLD














4.水平

水彩・紙  1958年  35×41.5cm 自筆サイン















5.創造

水彩・ペン・コラージュ・紙  1959年   35×24cm   自筆サイン

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6.顔(B)

エッチング  1953年  27×36cm   ed.5  鉛筆サイン・年代















7.ひまわり

エッチング  1955年  23×18cm  ed.8   鉛筆サイン















8.MALGRANDA DIABLO1

エッチング  1952年  9×10cm   

裏面に杉田都サイン















9.MALGRANDA DIABLO2

エッチング  1952年  9×10cm ed.25

裏面に杉田都サイン




















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